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link katsuまるはだかぁ 芸術家への道 katsuまるはだかぁ 芸術家への道 (2019/7/18 20:55:22)

feed 棟梁とりょうさんとラパンさんの相席教室 (2019/4/9 7:11:26)
今日は棟梁とりょうさんとラパンさんの相席教室。そんな中、大家さんとすれ違うと、当然のごとく、亡くなった犬の話となり・・・しんみりしたスタートとなったが、払拭するかどうか?は判らないけれど、要するに幸せだった時間の回想になると思うのね。例えばそこに関わった時間が多ければ多い程、

楽しかった事、大変だった事、色んな出来事を思い出したりする。当然思い出は増える。そこに穴が開いてしまう事になる。これが働いていたら、その時間には合っていないのだから、合っていたのは朝の行ってきます・・・と帰宅してからの時間だったりするし、専業主婦の人だったりすれば、1日中一緒

だったりするから、その時間の多さの失望感は大きい。その時に大家さんと棟梁はリフォームをやったお客さんと業者さんでもあったりするから、親密度が深いし、お互いに犬を飼っているから、より仲良しになれたりすればするほど、お互いに痛みの共有度は高くなる。しかも、大家さんは亡くした側・・

当然痛みが大きいけれど、そんな日でも棟梁大丈夫かな?と思ってくれたのね。こんな痛みをこれから受けるのか?と思ったから。でも棟梁はその日のブログで自分の事のように痛んだらしく、大家さんを気遣ったらしいのね。そんなだから、合った瞬間、棟梁は泣き出す始末。って感じになってしまったのね

・・・当然、こうなる・・・そう思ってブログを入れたのね。そうで無いと、その日にいきなり聞く事や話す事になり、その日はどんより・・・って何も進まない状況になってしまうだろうし、関わった人達に同じ事を何度も説明するのは、説明する側もその度きついから・・・。

そうね、そんな中、ではそう言った時、どんな乗り越え方があるんだろうか?になった時、月並みだけれど、趣味に打ち込めたりすると良いね・・・みたいな話が出たりしたのね。じゃあ、棟梁は片手では足りない位、趣味がある。じゃ平気だね・・・となるか?と言うと、そんな事は無いと思うのね。

それが趣味って何だ?って話で、楽しみ・・・なんて単純に表現してしまうと、楽しい・・・たのしい・・・楽・・・らく・・・つまり、音読み、訓読みとするのなら、単純に楽しいのは楽な事の範囲であれば成立するのだから、そうなるとずっと体験教室のままでいられれば、それが成立するだろう。

つまりそれが体験荒らし。色んな分野の興味ある事を次から次に歩けば、常に新鮮で常に簡単で必ず結果も付いて来る。ただどれ1つ取っても上手いモノは見なくても1つも無い事になる。つまり出来た・・・って止まりになる。何故なら、楽しいのは楽だから・・・楽なものに上手いモノは無いのだから。

勿論、インスタントの食品のように温めるだけのモノ作りがあれば、話は違って来るだろうけれど。話は戻って、棟梁がこんな作り方をしているのなら、楽しいって事になるんだろうけれど、果たしてそうか?となると、全ての作り方が根を詰めて、徹底的にこだわり、良いモノが作りたい・・・のスタイル。

そうなると単純に楽しいでは無くなる。もしかすると大きくそちら側から外れる作り方になる事になる。当然悩んだり、息詰まったり、手が止まってしまうなんて事も多々ある。こんな事があるのに、楽しいなんて言葉で果たして収まるだろうか?・・・つまり辛い事にも手を出している事になる。

ここまでの話はその人の心持ちの話で、気持ちみたいな感じの話で、良いモノを作りたい・・・と願うと、こだわりを持つ事で、悩みも増え、その結果、自分の思い描く良いモノへ近づける方向にある・・・って位の話で、あくまで近づける程度であって、必ず付いて来るとは限らない。

きっとこれがモノ作りの最高峰の人達が言う、果てしないとか奥が深いとか、何処まで行っても満足しない・・・みたいな自分と向き合う人達の言葉になるんだろうね。ほら、確実にそっちの方向の作り方になっていないかな?つまり単純に楽しいでは無いはずなのね。

そしてここからが棟梁だけが持っている権利で、棟梁は自宅の一部がアトリエになっていて、色んな先生を集めてここで生徒としても参加しているのね。つまり1歩も外に出なくてもモノ作りが出来るのね。確かに便利ではあるけれど、良い事と悪い事は背中合わせ・・・。それは鎖国のようでもある

それが犬がいると必然的に外に出る事になり、犬仲間なんて事もあったりする。そんなお付き合いの1人が大家さんだったりする。でも、それは犬の散歩の程度の距離では無くて、車で走って来て、距離では無くて居場所。そこには待っている人がいる・・・そんな場所が家の他にある。

それが孤独では無くなるって事だと思うのね・・・独りのモノ作りでこだわり持って続けたら、もはやそれは売らないだけでプロの作り方。それは俺が一番良く知っているから、どんなに辛くなるかも勿論知っているし、本来その腕を持って、人に見せたり、教えたり、勿論売る事も良いだろうし、人と

関わった時に、また良い事と悪い事は背中合わせだけれど、鬱陶しかったり、励まされたり、楽しかったり、辛かったり・・・を共有する事になる。
つまり関われば孤独にはならないが、自由が少なくなるし、関わらなければ孤独の方側寄りになる。そして誰にも邪魔されずに1人作れる・・・。

では1人作れるのは何故か?この答えが上手いから・・・なのね。ただ作って楽しいのは子供の頃だけで、何年もやっていたら出来て嬉しい、楽しいだけでは無くなるし、独りで楽しいのなら、無人島でも楽しく生きられる・・・そんな人は別なんだろうけどね。

更に話を戻して、もう棟梁は十分過ぎる条件が揃っているとなると、他人様からは、羨ましい環境に見えるだろうし、その眼を持ってしてその日を迎える事になれば、当然ダメージは大きい。つまりそのダメージと天秤に掛けて釣り合うもの探しになるのね・・・だから趣味を持つ程度では釣り合わない

事になる。そのヒントはそれらを使った自分のやっていなかった事。嫌いだとか、苦手だと思った事、実はそこに刺激が良くも悪くもあって、結果が良ければ新鮮だったりするし、けれど、ここまで大人になっちゃうと、そんな事は誰も言ってはくれないのね・・・だからあえて言うのね・・・。

割と良く知っている関係性になったのもあってね・・・こんな話を踏まえたお教室の内容の結果はこんな感じ。


最初のラパンさんのミニテーブルはオレンジ嫌いの人にオレンジを勧めて見たり、エンジを多く使おうとしたバラの棟梁に、天使は若者だよ・・・と、作者の歳では無く、彼女に合わせて・・・と赤を勧めたりして、どんな結果になったか?・・・本人はどう感じているか?


それが簡単に受け入れ過ぎてしまうりょうさんは、身の丈とか身の程みたいな事が多く、作り手はもっと主張しないと・・・って言うのが課題で、随分と良い感じにはなって来ていて、最近は気付くって眼の話が多くなって、何か変・・・みたいに自分のやった所を直せなくて良いから気付く事。

そこに重点を置いて教えたりしていて、言われると判るんだけれど・・・って事が、多かったのに、最近は、やっぱりそうかぁ・・・みたいなセリフが多くなり、本当に教えるべきは、本当に気が付かなかった事・・・それを比較対象パーツを切って、入れ替えてどれだけ違うか?を見せたりしたのね。

こんな事をしている人達が楽しいだけの表現にはならないでしょ?つまりこだわりを持った人は上手くなるのと引き換えに、楽しみを削る事にもなるのね。その時にこうして一緒に作るって仲間の存在はとても大きく孤独にはならないし、同じ方向を向くと、どの人のアドバイスも自分の事のように思え

全てが勉強になったりするもので・・・。共有なんて言うのはそんな事なのかも知れないのね。そんなお教室の後は、大雨の降る前にペーパー掛けをサンダーって機械を使って終わる頃には土砂降りに雷のおまけ付き・・・その後、2度のペンキ塗り。そんな頃には雨も止んで・・・

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